挪威的森林日文原版内容摘要:

のあいだ国旗が降ろされてしまうのか、僕にはその理由がわからなかった。 夜のあいだだってちゃんと国家は存続しているし、働いている人だって沢山いる。 線路工夫やタクシーの運転手やバーのホステスや夜勤の消防士やビルの夜警や、そんな夜に働く人々が国家の庇護を受 けることができないというのは、どうも不公平であるような気がした。 でもそんなのは本当はそれほどたいしたことではないのかもしれない。 誰もたぶんそんなことは気にもとめないのだろう。 気にするのは僕くらいのものなのだろう。 それに僕にしたところで何かの折りにふとそう思っただけで、それを深く追求してみようなんていう気はさらさらなかったのだ。 寮の部屋割は原則として一、二年生が二人部屋、三、四年生が一人部屋ということになっていた。 二人部屋は六畳間をもう少し細長くしたくらいの広さで、つきあたりの壁にア ルミ枞の窓がついてい て、窓の前に背中あわせに勉強できるように机と椅子がセットされている。 入口の左手に鉄製の二段ベッドがある。 家具はどれも極端なくらい簡潔でがっしりとしたものだった。 机とベッドの他にはロッカーがふたつ、小さなコーヒー ?テーブルがひとつ、それに作りつけの棚があった。 どう好意的に見ても詩的な空間とは言えなかった。 大抵の部屋の棚にはトランジスタ ?ラジオとヘア ?ドライヤーと電気ポットと電熱器とインスタント ?コーヒーとティー ?バッグと角砂糖とインスタント ?ラーメンを作るための鍋と簡単な食器がいくつか並んでいる。 しっくいの壁 には「平凡パンチ」のビンナップか、どこかからはがしてきたポルノ映画のポスターが貼ってある。 中には冗談で豚の交尾の写真を貼っているものもいたが、そういうのは例外中の例外で、殆んど部屋の壁に貼ってあるのは裸の女か若い女性歌手か女優の写真だった。 机の上の本立てには教科書や辞書や小説なんかが並んでいた。 男ばかりの部屋だから大体はおそろしく汚ない。 ごみ箱の底にはかびのはえたみかんの皮がへばりついているし、灰皿がわりの空缶には吸殻が十センチもつもっていて、それがくすぶるとコーヒーかビールかそんなものをかけて消すも のだから、むっとするすえた匂いを放っている。 食器はどれも黒ずんでいるし、いろんなところにわけのわからないものがこびりついているし、床にはインスタント ?ラーメンのセロファン ?ラップやらビールの空瓶やら何かのふたやら何やかやが散乱している。 ほうきで掃いて集めてちりとりを使ってごみ箱に捨てるということを誰も思いつかないのだ。 風が吹くと床からほこりがもうもうと舞いあがる。 そしてどの部屋にもひどい匂いが漂っている。 部屋によってその匂いは少しずつ違っているが、匂いを構成するものはまったく同じである。 汗と体臭とごみだ。 み んな洗濯物をどんどんベッドの下に放りこんでおくし、定期的に布団を干す人間なんていないから布団はたっぷりと汗を吸いこんで救いがたい匂いを放っている。 そんなカオスの中からよく致命的な伝染病が発生しなかったものだと今でも僕は不思議に思っている。 でもそれに比べると僕の部屋は死体安置所のように消潔だった。 床にはちりひとつなく、窓ガラスにはくもりひとつなく、布団は週に一度干され、鉛筆はきちんと鉛筆立てに収まり、カーテンさえ月に一回は洗濯された。 偶の同居人が病的なまでに清潔好きだったからだ。 僕は他の連中に「あいつカ ーテンまで洗うんだぜ」と言ったが誰もそんなことは信じなかった。 カーテンはときどき洗うものだということを誰も知らなかったのだ。 カーテンというのは半永久的に窓にぶらさがっているものだと彼らは信じていたのだ。 「あれ異常性格だよ」と彼らは言った。 それからみんなは彼のことをナチだとか突撃隊だとか呼ぶようになった。 僕の部屋にはピンナップさえ貼られてはいなかった。 そのかわりアムステルダムの運河の写真が貼ってあった。 僕がヌード写真を貼ると「ねえ、ワタナベ君さ、ぼ、ぼくはこういうのあまり好きじゃないんだよ」と言ってそれ をはがし、かわりに運河の写真を貼ったのだ。 僕もとくにヌード写真を貼りたかったわけでもなかったのでべつに文句は言わなかった。 僕の部屋に遊びに来た人間はみんなその運河の写真を見て「なんだ、これ。 」と言った。 「突撃隊はこれ見ながらマスターベーションするんだよ」と僕は言った。 冗談のつもりで言ったのだが、みんなあっさりとそれを信じてしまった。 あまりにもあっさりとみんなが信じるのでそのうちに僕も本当にそうなのかもしれないと思うようになった。 みんなは突撃隊と同室になっていることで僕に同情してくれたが、僕自 身はそれほど嫌な思いをしたわけではなかった。 こちらが身のまわりを清潔にしている限り、彼は僕に一切干渉しなかったから、僕としてはかえって楽なくらいだった。 掃除は全部彼がやってくれたし、布団も彼が干してくれたし、ゴミも彼がかたづけてくれた。 僕が忙しくて三日風 呂に入らないとくんくん匂いをかいでから入った方がいいと忠告してくれたし、そろそろ床屋に行けばとか鼻毛切った方がいいねとかも言ってくれた。 困るのは虫が一匹でもいると部屋の中に殺虫スプレーをまきちらすことで、そういうとき僕は隣室のカオスの中に退避せざるを得なかっ た。 突撃隊はある国立大学で地理学を専攻していた。 「僕はね、ち、ち、地図の勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。 「地図が好きなの。 」と僕は訊いてみた。 「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、地図作るんだ」 なるほど世の中にはいろんな希望があり人生の目的があるんだなと僕はあらためて感心した。 それは東京に出てきて僕が最初に感心したことのひとつだった。 たしかに地図づくりに興味を抱き熱意を持った人間が少しくらいいないことには――あまりいっぱいいる必要もないだろ うけれど――それは困ったことになってしまう。 しかし「地図」という言葉を口にするたびにどもってしまう人間が国土地理院に入りたがっているというのは何かしら奇妙であった。 彼は場合によってどもったりどもらなかったりしたが、「地図」という言葉が出てくると百パーセント確実にどもった。 「き、君は何を専攻するの。 」と彼は訊ねた。 「演劇」と僕は答えた。 「演劇って芝居やるの。 」 「いや、そういうんじゃなくてね。 戯曲を読んだりしてさ、研究するわけさ。 ラシーヌとかイヨネスコとか、ンェークスビアとかね」 シ ェークスビア以外の人の名前は聞いたことないな、と彼は言った。 僕だって殆んど聞いたことはない。 講義要項にそう書いてあっただけだ。 「でもとにかくそういうのが好きなんだね。 」と彼は言った。 「別に好きじゃないよ」と僕は言った。 その答は彼を混乱させた。 混乱するとどもりがひどくなった。 僕はとても悪いことをしてしまったような気がした。 「なんでも良かったんだよ、僕の場合は」と僕は説明した。 「民族学だって東洋史だってなんだって良かったんだ。 ただたまたま演劇だったんだ、気が向いたのが。 それだけ」しかしその説明 はもちろん彼を納得させられなかった。 「わからないな」と彼は本当にわからないという顔をして言った。 「ぼ、僕の場合はち、ち、地図が好きだから、ち、ち、ち、地図の勉強してるわけだよね。 そのためにわざわざと、東京の大学に入って、し、仕送りをしてもらってるわけだよ。 でも君はそうじゃないって言うし……」 彼の言っていることの方が正論だった。 僕は説明をあきらめた。 それから我々はマッチ棒のくじをひいて二段ベッドの上下を決めた。 彼が上段で僕が下段だった。 彼はいつも白いシャツと黒いズボンと紺のセーターという格好 だった。 頭は丸刈りで背が高く、頬骨がはっていた。 学校に行くときはいつも学生服を着た。 靴も鞄もまっ黒だった。 見るからに右翼学生という格好だったし、だからこそまわりの連中も突撃隊と呼んでいたわけだが本当のことを言えば彼は政治に対しては百パーセント無関心だった。 洋服を選ぶのが面倒なのでいつもそんな格好をしているだけの話だった。 彼が関心を抱くのは海岸線の変化とか新しい鉄道トンネルの完成とか、そういった種類の出来事に限られていた。 そういうことについて話しだすと、彼はどもったりつっかえたりしながら一時間でも二時間でも、 こちらが逃げだすか眠ってしまうかするまでしゃべりつづけていた。 毎朝六時に「君が代」を目覚し時計がわりにして彼は起床した。 あのこれみよがしの仰々しい国旗掲揚式もまるっきり役に立たないというわけではないのだ。 そして服を着て洗面所に行って顔を洗う。 顔を洗うのにすごく長い時間がかかる。 歯を一本一本取り外して洗っているんじゃないかという気がするくらいだ。 部屋に戻ってくるとパンパンと音を立ってタオルのしわをきちんとのばしてスチームの上にかけて乾かし、歯ブラシと石鹸を棚に戻す。 それからラジオをつけてラジオ体操を始め る。 僕はだいたい夜遅くまで本を読み朝は八時くらいまで熟睡するから、彼が起きだしてごそごそしても、ラジオをつけて体操を始めても、まだぐっすりと眠りこんでいることもある。 しかしそんなときでも、ラジオ体操が跳躍の部分にさしかかったところで必ず目を覚ますことになった。 覚まさないわけにはいかなかったのだ。 なにしろ彼が跳躍するたびに――それも実に高く跳躍した――その震動でベッドがどすんどすんと上下したからだ。 三日間、僕は我慢した。 共同生活においてはある程度の我慢は必要だといいきかされていたからだ。 しかし四日めの朝 、僕はもうこれ以上は我慢できないという結論に達した。 「悪いけどさ、ラジオ体操は屋上かなんかでやってくれないかな」と僕はきっぱりと言った。 「それやられると目が覚めちゃうんだ」 「でももう六時半だよ」と彼は信じられないという顔をして言った。 「知ってるよ、それは。 六時半だろ。 六時半は僕にとってはまだ寝てる時間なんだ。 どうしてかは説明できないけどとにかくそうなってるんだよ」 「駄目だよ。 屋上でやると三階の人から文句がくるんだ。 ここなら下の部屋は物置きだから誰からも文句はこないし」 「じゃ あ中庭でやりなよ。 芝の上で」 「それも駄目なんだよ。 ぼ、僕のはトランジスタ ?ラジオじゃないからさ、で、電源がないと使えないし、音楽がないとラジオ体操ってできないんだよ」 たしかに彼のラジオはひどく古い型の電源式だったし、一方僕のはトランジスタだったが FM しか入らない音楽専用のものだった。 やれやれ、と僕は思った。 「じゃあ歩み寄ろう」と僕は言った。 「ラジオ体操をやってもかまわない。 そのかわり跳躍のところだけはやめてくれよ。 あれすごくうるさいから。 それでいいだろ。 」 「ちょ、跳躍。 」と彼はびっくり したように訊きかえした。 「跳躍ってなんだい、それ。 」 「跳躍といえば跳躍だよ。 ぴょんぴょん跳ぶやつだよ」 「そんなのないよ」 僕の頭は痛みはじめた。 もうどうでもいいやという気もしたが、まあ言いだしたことははっきりさせておこうと思って、僕は実際に NHK ラジオ体操第一のメロディーを唄いながら床の上でぴょんぴょん跳んだ。 「はら、これだよ、ちゃんとあるだろう。 」 「そ、そうだな。 たしかにあるな。 気がつ、つかなかった」 「だからさ」と僕はベッドの上に腰を下ろして言った。 「そこの部分だけを端折 ってほしいんだよ。 他のところは全部我慢するから。 跳躍のところだけをやめて僕をぐっすり眠らせてくれないかな」 「駄目だよ」と彼は実にあっさりと言った。 「ひとつだけ抜かすってわけにはいかないんだよ。 十年も毎日毎日やってるからさ、やり始めると、む、無意識に全部やっちゃうんだ。 ひとつ抜かすとさ、み、み、みんな出来なくなっちゃう」 僕はそれ以上何も言えなかった。 いったい何が言えるだろう。 いちばんてっとり早いのはそのいまいましいラジオを彼のいないあいだに窓から放りだしてしまうことだったが、 そんなことをしたら地獄 のふたをあけたような騒ぎがもちあがるのは目に見えていた。 突撃隊は自分のもち物を極端に大事にする男だったからだ。 僕が言葉を失って空しくベッドに腰かけていると彼はにこにこしながら僕を慰めてくれた。 「ワ、ワタナベ君もさ、一緒に起きて体操するといいのにさ」と彼は言って、それから朝食を食べに行ってしまった。 * 僕が突撃隊と彼のラジオ体操の話をすると、直子はくすくすと笑った。 笑い話のつもりではなかったのだけれど、結局は僕も笑った。 彼女の笑顔を見るのは――それはほんの一瞬のうちに消えてしまったのだけれど ――本当に久しぶりだった。 僕と直子は四ッ谷駅で電車を降りて、線路わきの土手を市ヶ谷の方に向けて歩いていた。 五月の半ばの日曜日の午後だった。 朝方ばらばらと降ったりやんだりしていた雨も昼前には完全にあがり、低くたれこめていたうっとうしい雨雲は南からの風に追い払われるように姿を消していた。 鮮かな緑色をした桜の葉が風に揺れ、太陽の光をきらきらと反射させていた。 日射しはもう初夏のものだった。 すれちがう人々はセーターや上着を脱いて肩にかけたり腕にかかえたりしていた。 日曜日の午後のあたたかい日差しの下では、誰もがみんな幸せそうに見えた。 土手の向うに見えるテニス ?コートでは若い男がシャツを脱いでショート ?ハンツ一枚になってラケットを振っていた。 並んでペンチに座った二人の修道尼だけが。
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