徒然草日文版内容摘要:

地す。 寝殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。 心 のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。 都の空よりは雲の往来も速き心地して、月の晴れ曇る事定め難し。 *第四十五段 公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。 坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木池僧正」とぞ言ひける。 「この名しかるべからず」とて、かの木を切られにけり。 その根のありければ、「切りくひの僧正」と言ひけり。 いよいよ腹立ちて、切りくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞ言 ひける。 *第四十六段 柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。 度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。 *第四十七段 或人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず、なほ言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて「やゝ。 鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君の、比叡山に児にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。 有り 難き志なりけんかし。 *第四十八段 光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御を出だされて食はせられけり。 さて、食ひ散らしたる衝重を御簾の中へさし入れて、罷感ぜさせ給ひけるとぞ。 *第四十九段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。 古き墳くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。 その時悔ゆとも、かひあらんや。 人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。 さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。 「 昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、「今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけ (り」と、禅林の十因に侍り。 心戒といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。 *第五十段 応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるをゐて上の人、鬼見にとて出で惑ふ。 「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「たゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。 まさしく見たりといふ人もなく、虚言と 云う人もなし。 上下、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。 その比、東山より安居院辺へ罷り侍りしに、四条よりかみさまの人、皆、北をさして走る。 「一条室町に鬼あり」とのゝしり合へり。 今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。 はやく、跡なき事にはあらざンめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、逢へる者なし。 暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果は闘諍起りて、あさましきことどもありけり。 その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人 も侍りし。 *第五十一段 亀山殿らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。 さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。 万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。 *第五十二段 仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。 極楽寺 ?高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、 「年比思ひつること、果し侍りぬ。 聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。 そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。 *第五十三段 これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。 しばしかなでて後、抜かん とするに、大方抜かれず。 酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。 とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。 医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様なりけめ。 物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。 「かゝることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と 言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。 かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。 たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。 からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。 *第五十四段 御室にいみじき児のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流 の破子やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたゝめ入れて、双の岡の便よき所に埋み置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。 うれしと思ひて、こゝ ?かしこ遊び廻りて、ありつる苔のむしろに並み居て、「いたうこそ困じにたれ」、「あはれ、紅葉を焼かん人もがな」、「験あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木の下に向きて、数珠おし摩り、印ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。 所の違ひたる にやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。 埋みける人を見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。 法師ども、言の葉なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立ちて帰りにけり。 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。 *第五十五段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。 冬は、いかなる所にも住まる。 暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。 深き水は、涼しげなし。 浅くて流れたる、遥かに涼し。 細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。 天井の高きは、冬寒く、燈暗し。 造作は、用なき所を作りたる、見るも面白 く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。 *第五十六段 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。 隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥づかしからぬかは。 つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。 よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。 をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。 人の身ざまのよし ?あし、才ある人はその事など定め合へるに、己が身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。 *第五十七段 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意なけれ。 少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。 すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。 *第五十八段 「道心あらば、住む所にしもよらじ。 家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、 後世知らぬ人なり。 げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。 心は縁にひかれて移るものなれば、閑かならでは、道は行じ難し。 その器、昔の人に及ばず、山林に入りても、餓を助け、嵐を防くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を貪るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。 さればとて、「背けるかひなし。 さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下の事なり。 さすがに、一度、道に入りて世を厭はん人、たとひ望ありとも、勢ある 人の貪欲多きに似るべからず。 紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羹、いくばくか人の費えをなさん。 求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。 かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き。 人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れんことこそ、あらまほしけれ。 偏へに貪る事をつとめて、菩提に趣かざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。 *第五十九段 大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。 「しばし。 この事果てて」、「同じくは、 かの事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん。 行末難なくしたゝめまうけて」、「年来もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。 物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。 おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期は過ぐめる。 近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。 身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。 命は人を待つものかは。 無常の来る事は、水火の攻むるよりも速かに、遁れ難きも のを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。 *第六十段 真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。 芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。 談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながら、文をも読みけり。 患ふ事あるには、七日 ?二七日など、療治に用ゐることなくて、その銭皆に成りにけり。 「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計らひける、まことに有り難き道心者なり」とぞ、人申しける。 この僧都、或法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。 「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。 若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。 この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書 ?学匠 ?辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由も、人に等しく定めて食はず。 我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。 徳の至れりけるにや。 *第六十一段 御産の時、甑落す事は、定まれる事にあらず。 御胞衣とゞこほる時のまじなひなり。 とゞこほらせ給はねば、この事なし。 下ざまより事起りて、させる本説なし。 大原の里の甑を召すなり。 古き宝蔵の絵に、賎しき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。 *第六十二段 延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、 ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、歪み文字とぞ君は覚ゆる 恋しく思ひ参らせ給ふとなり。 *第六十三段 後七日の阿闍梨、 武者を集むる事、いつとかや、盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくことことしくなりにけり。 一年の相は、この修中のありさまにこそ見ゆなれば、兵を用ゐん事、穏かならぬことなり。 *第六十四段 「車の五緒は、必ず人によらず、程につけて、極むる官 ?位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。 *第六十五段 この比の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。 古代の冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。 *第六十六段 岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一双を添へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼、下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥付くる術、知り候はず。 一枝に二つ付くる事も、存知し候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また、武勝に、「さらば、己れが思はんやうに付けて参らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。 武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。 五葉の取りたるよしなるべし」と申しき。 花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。 長月ばかりに、梅の作り枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は時しも分かぬ」と言 へる事、伊勢物語に見えたり。 造り花は苦しからぬにや。 *第六十七段 賀茂の岩本 ?橋本は、業平 ?実方なり。 人の常に言ひ粉へ侍れば、一年参りたりしに、。
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